≫30代の主婦が普通とは何かを模索するブログ

人に話す言葉がやがて自分に返ってくると思って話すようにしています

人と話すときはもちろん家族、友人、職場などの関係性もあるとは思いますが、ある程度距離感を考えて話すようにしています。

ただそういうことが考えられない方がある一定の人数いらっしゃるんだなと日々実感中です。

 

逆にそれが良い方向に進む方もいらっしゃるので、否定をするつもりもありません。

がしかし、言葉の端々にそういった感じが出てくる人は隠しきれないんだな、と思いましたし、

私は元々そういったことがうまくできないのがわかっているので、言葉に気をつけながら話すようにしています。

親しき中にも礼儀あり

いくら家族といえども言っていいことと悪いことがあると思っています。

もちろん1番近い人間関係なのですべてに遠慮するというのは違うかなとも思うのですが、

その辺のさじ加減も重要かなと思います。

 

私の母は基本的に自分の都合の良いように、自分が正しいというスタンスでしたので、

正論を言ったり、そういう場合もあるんじゃないのと言うとだいたいが否定されてきました。

 

もしかしたら普通と呼ばれる家庭なら、なんでも気軽に話すことができ、冗談も笑い合えるような関係が築けるのかもしれませんが

それでも「親しき中にも礼儀あり」というのは大事なのではないかと考えています。

 

驚く言葉が出てくる人もいる

この間も突然職場の人に「どいて」とキレられながら言われました。

もちろんその人が通る邪魔な位置にいた私の過失でもありますが、ずっとその位置にいたわけではありません。

たまたまその人と被ってしまっただけのことであり、わざと邪魔をしたかったわけでもありません。

なのにそんな言葉が当たり前のように出てくることに驚きを覚えてしまいました。

 

その人は元々独自のマイルールがあり、周りが自分の思い通りに動かなかったり、すごく気をつかっていないと空気がものすごく悪くなるのですが、

今までもこうやって生きてこられたんだな、としみじみ思う出来事のひとつでした。

周りに気を使われ、自分の思うままに動くのが当然というのは一体どういう気持ちなんでしょうか。

 

あとはふとしたタイミングであんまり人に使わないような言葉が出るということは、日常的にそういう言葉を利用しているんだな、と思わず想像をしてしまいました。

 

言霊の力を信じています

言葉は良い方向にも悪い方向にもどちらにもなることができます。

だからこそ何気ない言葉ひとつも大切だな、とこれは接客をしているときに学びました。

同じことを話すときも人によって言い方を変えたり、理解しているかどうかを話の端々で観察するようにしていました。

いろんな方がいるのは当然理解していますが、改めて目の当たりにした瞬間でもありました。

 

私は言葉は何気なく話していたとしても、やがてまわりにまわって自分に返ってくると思っています。

言葉ひとつで印象が変わったり、イメージが変わることも少なくありません。

なるべく気をつけるようにはしていますが、結局印象を決めるのは受け手の方なので、意図していることが伝わっているかも考えるべきところですが、

少なくとも私はそういった風に考えています。

 

久しぶりにそういう方を見たので、改めて考えることができました。

いろんな考え方の方がいらっしゃるので、私の考えに賛同できない方もいると思います。

ただこういう人間もいるんだなぐらいの気持ちで見てもらえるととても嬉しいです。

 

 

 

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