生活しているとどうしても人と共に暮らしていくので、多かれ少なかれ他人と比較すること場面が出てきます。
特に世間話と言われるものは、いつも難しいなと感じることが多いです。
世の中の常識=自分の常識ではありませんが、なんだかんだ幸せに過ごしています。
世の中の常識とは
世の中と言っても、私の感じているところは本当に狭い世界だと思います。
ただそんな中でも私は周りと違うんだなと感じることがあります。
特に感じる点としては、夫との距離感やお金の使い道などです。
先日も職場では身内の話や、どこにお金をかけているのかを話す方がおられました。
そんな話を聞いて周りは同調されていましたが、私には一切その話がわかりませんでした。
どういう距離感で接しようが、どこにお金を使おうかは個人の自由なのでいいと思いますが、
それを周りの方とわいわい話されていることになんだか変な感覚に襲われてしまいました。
自分の常識≠世間の常識
私は自分の話をするのが得意ではないです。
なので、身内の話をおもしろおかしく話すことができません。
自分の話は聞かれたら答えますが、聞かれないということはそんなに興味がないということだと思っているので
聞かれないならあえて話す必要もないかなとも思っています。
その点、おもしろおかしく話すことができる人はそれはそれで話のきっかけにもなると思うので、
コミュニケーションのひとつとして否定するつもりはありませんが、何事も度を過ぎてしまうとおもしろくなくなってしまうのでその辺りも才能なのかなと思います。
自分の常識と世間の常識が違うことを一番感じる出来事ですね。
なんだかんだで幸せです
テレビやインターネット、職場などで話されている話がけっこう一致することが多いので、世の中の常識に近いのかなと思っています。
ただ私には当てはまらないことも多く、とくに最初は受け入れること自体が難しかったです。
なので「こういう場合は」という検索をかけてもなかなか当てはまることがなく、どうしようかと思うことも多かったように思います。
家庭のことは聞かれて答えると「すごいね」「珍しいね」と言われることが多いので、
きっと私に話しても同調できないので、話す側も楽しくないのではと思うこともあります。
世の中にはなかなか同調はできないけど、私自身は細々と幸せに過ごしているので、それで良いのではと思っています。
個人的にはもう少し残業が減って定時に帰ることができれば、最高なのになとも思います。
今、私は未来の私が幸せに過ごせるように生きています。
未来の私だけでなく、今の私もさらに幸せを感じられるように、他人と比較することなく日常を過ごしていきたいなと思います。