≫30代の主婦が普通とは何かを模索するブログ

普通とはなにか、羨ましく見えるときに考えること

普通とはなんでしょうか。

衣食住不便なく過ごせることでしょうか。

自分の好きな人たちと過ごすことでしょうか。

誰かに必要とされることでしょうか。

 

最近、周りに流されに流されてしまっている私です。

これが他人軸ということですね。

もっと自分軸で考えなければなりません。

心が弱っているときに発生する厄介者

定期的にやってくるやつです。

あまりどこにも行けないこのご時世なので、基本的には家にいます。

そしてスーパーに食材を買いに行くついでに散歩する、家では掃除や体力作りにリングフィットをしたりとそんな生活を繰り返しています。

 

もちろん仕事は探していますが、応募や面接をしてから返事が返ってくるまでの時間がもどかしくてたまりません。

不採用なら不採用で早く連絡をもらえれば次へ進めるのですが、

1週間以上待たされたあげくにお祈りメールというのはちょっとしんどいですね。

今の一番の悩みはこれですね。

 

普段なら気にしないことが気になる

ちょっと外に出てもいろんな人に目がいきます。

仕事中の人を見て、あの人はどうやって採用されたのだろうかとか、仕事はできるのだろうかとか

スーパーで買い物中の妊婦さんを見て幸せそうだなとか

すごく楽しそうに歩いている家族を見て羨ましいなとか

私がそうやって見ている人にももちろん悩み事や不安なことなどはあると思います。

 

ただ心が弱っているとまわりの人すべてが幸せそうに見えるんですよね。

ちょっと店員さんに優しくされる(店員さんは普通の対応だと思います)と嬉しくなったり、

自分でもいつもの自分じゃないと違和感を感じるほどなのでよほどのことだと思います。

 

自分軸に戻る方法を探して

私の場合、まだ自分の感情を第三者目線で見ようとしているので、ましだと思います。

きっとこれができなくて落ち込みに落ち込んでいくと、普段では考えないようなことを考えてしまうのだと思います。

 

わかっています。

人と比べたって何の意味もないことを。

他人の幸せ=私の幸せではないことを。

自分の幸せは自分が決めるということを。

 

今まで通りの生活をしていたら、こういった感情に気づくということもなかったかもしれません。

自分の感情がこんなに動くことに動揺しているのかもしれません。

変化する自分を選択したからこその悩みで、まだ楽しむ余裕がないのかもしれません。

 

ただこの選択をしたのは他人ではなく、まぎれもなく自分なのでまわりが羨ましく見えるということは、

まだ自分には成長していける可能性があるのかもしれません。

こんなことを思いながらも日々落ち込む自分と励ます自分が入り乱れています。

絶賛病み中の私ですが、

いつか羨ましいなんて思わなくても「幸せ」だと思える日がくることを目指して、11日を大切に過ごしていきたいですね。

 

 

 

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