≫30代の主婦が普通とは何かを模索するブログ

「真面目=賢いではない」と声を大にして言いたいと感じたこと

新しい職場に行き始めて、少しも慣れない今日このごろですが、

度々教えに来られる人に「真面目」「賢い」とすごく言われます。

印象としては悪くないのかなとは思いますが、正直あまり良い気持ちがしません。

そんなひねくれ者の私が最近思っていることを書いてみたいと思います。

こちらはあくまで一個人の考えなので、不快な思いをされたら申し訳ございません。

私の思う真面目とは

私の考える真面目とは物事に対してひたむきに、ただまっすぐに真剣に向き合っていることかなと思います。

責任感があり、今抱えているものと真正面から取り組む。

私にはそんなイメージがあります。

 

真面目だから仕事ができるではないかなと思いますし、真面目だから100%の力が発揮できるわけでもないかなと思います。

ただそこに要領の良さなどが重なると「仕事のできる人」になるのかなと考えています。

 

私の思う賢いとは

賢いとはどこを取るかで変わってくるかと思います。

 

勉強ができる=賢い

仕事ができる=賢い

要領がよい=賢い

頭の回転が早い=賢い

 

いろんな方向で考えられるので、どういった面で賢いが使われているのか見極めが必要だなと思います。

あとはいろんな汎用性があるということは、ただ言っておいたらいいと思っている可能性もあるので個人的にはあまり信用していない言葉のひとつです。

 

本当に賢い人ならトラブルなんて起きないと思いますし、何事にも対応ができるように事前に準備ができていると思います。

万が一、想定外のことが起きても最小限のリスクで抑えられるのが、本当に賢いの使いどきなのかなと考えています。

 

真面目と賢いはイコールではない

よく「真面目だし、賢いから仕事を次々教えられる」と言われます。

それは違いますよね。

仕事を次々教えるのは会社の都合。

正直もう毎日がお腹いっぱいです。

 

なるべく定時に帰りたいので、休憩時間も潰して、やってもやっても終わらない仕事はあきらかに与えすぎです。

知識があることに越したことはないですが、なにか間違っているような気がします。

真面目だから教えられるではなく、ノーと言わないから次々押しつけているようにみえます。

私の思い込みすぎなのかもしれませんが、そういう見方をしてしまいますね。

 

褒めて伸びるタイプの人にとっては嬉しい言葉かもしれませんが、私みたいなひねくれ者には響きません。

なのでイコールではないと言いたいです。

今の環境にもほんの少し慣れたような気もしますが、まだまだまだまだ時間がかかりそうです。

 

この文章を見て不快な思いをされたらすみません。

こんな人もいるんだなぐらいに思っていただけるとありがたいです。

読んでいただきありがとうございました。

 

真面目にやり続けるのをやめました 頭がキャパオーバーを感じはじめました

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA